大阪科学技術館


関西原子力懇談会

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エネルギー・チャレンジ・ツアー
エネッチャ!

メイン展示の「エネルギー・チャレンジ・ツアー エネッチャ!」では、クイズやゲームを楽しみながら、福井県若狭地方を仮想ツーリングすることができます。
他にも、原子力発電所のしくみがわかる模型や、医療・工業・農業等での放射線利用を紹介するコーナー、身の回りの放射線を測定するコーナー、原子燃料サイクルの流れを図解したコーナーなど、来館者が自ら調べ、学習できる展示や、原子力発電所のある若狭地域を紹介する展示があります。
また、資源の有効利用を図る「クリアランス制度」を適用して作られたベンチを設置しています。


展示紹介ビデオ


チャレンジ・ヒストリー

大阪万国博会場(昭和45年8月8日)

美浜発電所1・2号機Aー中央制御室内での万国博会場への試送電風景

大阪万国博に原子の灯を!

関西電力の原子力発電への取組みは、戦後の高度成長期までさかのぼります。増大する電力需要に対して、大規模な水力発電に適した地点は限られており、火力発電も化石燃料の先行きに不安が感じられていました。そうした状況の中で、長期的に安定したエネルギー源を確保するため、原子力発電に取組み始めたのです。
昭和32年7月、原子力部を設置し、原子力発電所建設に必要な関連技術の研究や開発、技術者の養成など、各分野で準備を進めました。
同36年に原子力委員会が作成した第1次原子力開発利用長期計画に、当社1号炉が組み込まれ、同37年11月に、建設予定地が福井県美浜町丹生地区に決定。当社で最初の原子力発電所となる美浜発電所の建設がスタートしました。
美浜発電所建設にあたっては、環境対策における周辺の景観保存に努めたことはもとより、安全対策の実施に全力を傾注しました。美浜発電所は、こうした万端の配慮のもとに建設計画を進め、全社一丸となった推進体制の下、「大阪万国博に原子の灯を」を合言葉に同41年12月に本格的に着工しました。
建設作業を精力的に進め、同45年7月29日、初臨界に達し、その後の試験も問題なく終了。同年8月8日には試送電を行い、約1万kWの「原子の灯」が大阪の万国博会場に送られ、お祭り広場を飾りました。営業運転に入ったのは、同年11月28日です。当社が総力を上げて取り組んだ最初の原子力発電所、美浜発電所はこうして誕生しました。